英語学習者がその初期に何度も聞かれる問い「Do you like English?」。
私も中学生くらいまでなら、てらいもなく「Yes, I do!」と答えられたものである。
大人になった今、そして英語教育に関わる者として末席を汚すようになった今は、
「Do you like English?」と聞かれたら、
「Uh, yeah, of course yes, I like English to a certain extent.(まあそうですね、好きです)」とか何とか答えて周りを「Huh?」と言わせてしまいそうな気がする。
推し先生に「Do you like English?」って聞かれる(好きそうに見えてないのかよおお🤣)。
— 梅つま子@月経カップとシンプルライフとオンライン英会話 (@umetsumako) March 15, 2022
何ていうのかな。もう今更、好きとかじゃないのよな。いいことばかりでもなくて、惨めな気持ちにだってなるし。疲れるし。でもやってたほうが総合的に「いい自分」になる(と思ってる)からやるんだと思う。
英語を勉強しているとコンスタントに「こんなことも言えないのかよう自分ん」と思って泣きたくなるし、
英語のポッドキャストを聞いててもほとんど聞き取れてなくて惨めになる。
もちろん、言いたいことが言えた喜び、相手の言ったことがわかった快感は強いけど、
どっちが多いかと言ったら悲しくなるタイミングの方が上回るように思う。
「言語学習者のMッ気」に関しては意外と多くの方の賛同を得られるのでないかと感じている。
それでも英語学習をやめないのは、
私の場合は、母語の世界ひとつにするのが怖いからである。
母語は私の思考の源である。
どれだけ英語を勉強しても英語は所詮借り物(新渡戸稲造もborrowed tongueと言ってた)なのに対して、
日本語は、他の日本語母語話者がそうであるのと同様に、私がその所有を主張できるものである。
だからこそ、自分の日本語への信頼を確実なモノにするために、
日本語とより深く付き合うために、英語をやっているのである。多分。
あと、これは最近気づいたのだが、
私の基本的な性格の構成要素が「淋しさ」であって、
私の常なる淋しい気持ちを英語はよく慰めてくれる。
私に素敵な人たちと出会わせてくれる。
それだけじゃなく、物理的に私の時間を奪い、
いつまで経っても身になじまない文法と発音で、私のなけなしの脳を殴りかかってくる。
それにオンライン英会話中は、さすがの食いしん坊の私もモノを食べたりしないので、
体重のコントロールにも一役買っているはずである。多分。
ただ、英語の10倍の速度で学べるよと言われた韓国語の習得に対してはちょっと未練がまだある。
なんとなくだが、私は時間をかけてきちんと学べば、韓国語学習者としてかなりいい線いけたのではないかと思うのである。多分。
だが現状では、英語学習にかかるコストを考えると、英語のほうが安い。
日本における英語の価値の高さ、オンライン学習のプラットフォーム、図書館で無料で借りられるテキスト。その他教材、学習リソース。
こういうのを考えると、自分が英語を勉強することのリーズナブルさが浮かび上がる。
韓国語がもっと安く勉強できたら韓国語にしてたかもしれない。
なので、
「Do you like English?」の問いは、
「I'd have to say yes. But I...」
と、butの先の長い答えになりそう。
ひとことで言うとoptimal choice(最適解)ってとこかな。英語は。
…わあ、なんて可愛くない答えなんだろう!我ながら、ひねくれてるなあ。
英語の神様はきっとこういうの好きじゃなくて、単純明快なのが好きだと思う。
likeで聞かれたらloveで返す、って昨日学んだばかりだというのにね。