よく受験英語でも出る部分だろうと思うのだが、
no more ~ than...の型が私にはよく理解できない。
いや、
…でないのと同様に~ではない、というふうに理解すればいい、
というのはわかるんだけど立ち止まってしまう。
わかった!と思った瞬間もあったんだけどな。
「no more A than B=Bじゃないのと同様にAじゃない」を強烈に理解できた例文。
— 梅つま子@月経カップとシンプルライフとオンライン英会話 (@umetsumako) December 10, 2021
"Having children makes no more a parent than having a piano makes you a pianist."
「ピアノを持ってるからといってピアニストになれるわけじゃないのと同じように、子どもを持ったからって親になれるわけじゃない」
この場合の「わかる」は単なる解読であって、
自分が文章を生成するときにつかえるタイプの知識ではない。
この間、『The 100 Simple Secrets of Successful People』に出てきたのは
It makes no more sense to rush into making every change you can than it does to run away from every change possible.
という文(p.86)。
<拙訳>
全ての変化から逃げることも、変化を得ようと拙速に動くことも理にかなわぬことなのである。
まず後ろから訳さなきゃいけないところも、
moreの後ろに何を入れたらいいのかよくわからないところも混乱の理由。
日本語でもこの内容のことを言おうとするなら、ある程度の意見のまとまりが必要であることを考えればわかるように、
no more ~ than...は、短時間では繰り出せない複雑な召喚魔法みたいな感じである。
それだけに使えたらカッコイイ。
もう少し細かい例文にしてみたら理解が多少やさしくなるかも。
ネットにあったのは、
I have no more knowledge about plans than you.
<拙訳>
あなた以上にプランについて知ってるわけではありません。
Project-based accounting - #17 by Hennie - Manager Forum
という文。これくらいならカジュアルに使えるか。
でもこれなら私はI don't know about plans neither.(私もプランについて知らんのよ)って言って済ませてしまうと思う。
あえてややこしく言えるような余裕はない。
『徹底例解ロイヤル英文法 改訂新版』の例文はなかなかエッジが効いていて、
A home without love is no more a home than a body without a soul in a man.
愛のない家庭が家庭でないのは、魂のない体が人間でないのと同じである。
(p.372)
ときたもんだ。好き。これは言ってみたい。
2つの程度を比較して、差がないということを知的にオシャレに伝える言い方なのだなとよくわかる。(こういうのに私はめっぽうよわい。)