無目的英語学習者の日記

進学にも就職にも昇進にも関係なく、心のおもむくままに英語を学んでいます。

羽生結弦選手とradical acceptanceとpainとsuffering

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フィギュアスケート羽生結弦選手の、

北京オリンピックでの4回転アクセルへの挑戦に関して、

アメリカの小児精神科医、内田舞さんの記事を興味深く読んだ。

 

gendai.ismedia.jp

 

上記の記事によると、

 

「ラジカル・アクセプタンス」とは心理学用語で、自分のコントロール下ではないことを良い/悪いの評価なしに「起きたこと」とアクセプト(受容)して前に進むことを意味します。日本語だと、「あきらめる力」「あるがままに生きる力」などと訳されたともしますが、そうとも言い切れません。
(中略)

「アクセプトすること」はあきらめることでも、許容することでも、忘れることでも、その事実に不随する感情を抑制することでもありません。ただ起きた出来事に関して、良い・悪いという評価を与えずに「起きたことは変えられない」という事実を認識し受容することです。

人間、自分のコントロールが効かない状況に陥った場合、どうしてその状況に陥ったかの原因や怒る相手を探したり、そんなはずはないと事実を否定しがちです。しかし、事実を否定し、過去の事実を変えたいと思う気持ちは精神的にとても消耗します。さらに、事実はすでに起こっていて「過去の事実を変えること」はできないので、過去を変えたいという望みが強いほど大きな抑うつと不安が伴います。その結果、自分自身をコントロールできなくなり、自分自身の感情に関しても混乱を起こすこともあります。

羽生選手がショートプログラムの中で、意識していたのか、無意識だったのかはわかりませんが、「ラジカル・アクセプタンス」を行っていたと私は思っています。この「ラジカル・アクセプタンス」の思考を知っておくと、生き方が大きく変わる可能性があります。でも、慣れないとなかなか難しい思考でもあります。

精神科医も称賛。羽生結弦選手の「自分の運命は自分で決める」という覚悟と生き様(内田 舞) | FRaU

 

というわけで、英語でも「radical acceptance」の記事を読んでみたいなと思い、

チェックしたのがコチラ。

いつものとおり、推し先生につきあってもらって、一緒に読みました。

 

www.psychologytoday.com

 

この記事によると、

「Radical acceptance is about saying yes to life, just as it is.」なんだそうです。

人生に「イエス」と言う。

この本、思い出します。

 

それでも人生にイエスと言う

 

Everyone experiences losing someone they love. The death of a parent, child, spouse, or dear friend is particularly difficult. Your first reaction may be to say something like “No, it can’t be!” even though you know it's true.

The death of a loved one will always be difficult and painful. Acceptance means that you can begin to heal. Resisting reality delays healing and adds suffering to your pain. When you practice acceptance every day, you may be more prepared when the most difficult experiences in life occur.

Radical Acceptance | Psychology Today

 

<拙訳>

誰もが、愛する人の死を経験します。

親の死、子どもの死、配偶者の死、親友の死は特に困難なものです。

最初の反応としては「無理だ、ありえない!」といったものでしょう。それが真実であるとわかっていても、です。

愛する人の死というのは常に困難で、痛みを伴います。

受け入れることは、回復への道を歩み始めたということなのです。

現実を受け入れるのを拒むことは、回復を拒み、今の痛みにさらなる苦しみを追加することになります。

受け入れることを毎日練習すれば、人生で起こる困難な出来事によりよく備えることになるでしょう。

 

…ということ。

うーむ。わかるけど。

ラディカル・アクセプタンスを練習するために過ごす毎日になっちゃうと、本末転倒だとは思う。

I'm afraid practicing acceptance everyday might ruin my life...

 

あと、やっぱり親しい人の死に関してラディカルにアクセプトするのは無理かな。

悲嘆のプロセスとか喪失の需要のプロセスとか言われている段階を経ないといけないと思います。

否定して怒って、落ち込んで…を経験しないと浮上できないし、

大切な人を亡くした人が、いきなり「That's a part of life、ハハッ!」とか言ってたら怖すぎる。

 

これもいつか推し先生と読みたい記事。

 

www.verywellmind.com

 

それはそれとして、

自分の力の及ばないこと、天災とかに関しては、まさにradical acceptanceが合ってる気がする。

あとはコロナもきっとそうですね…。

 

推し先生はI like this artcileと言ってました。

どのへんが好きかというと、

Suffering is what you do with that pain and the interpretation you put on the pain. Suffering is optional; pain is not.

Radical Acceptance | Psychology Today

 

<拙訳>

苦しみというのは、痛みの処置の仕方のことであって、痛みに対してどういう意味づけをするかということです。

苦しみはオプショナルですが、痛みはそうではありません。

 

ということでした。

痛みと苦しみを切り離すのはナルホド!

痛いと苦しいを勝手に複合させて増幅させちゃって、「ぐわわ~」になる系の私は気をつけよ。

 

違う記事ですが、こういう言い方もありました。

Fighting reality only creates suffering. While pain is inevitable in life, suffering is optional and suffering is what happens when we refuse to accept the pain in our lives.

How to practice radical acceptance during the pandemic

 

<拙訳>

現実に抵抗することは、苦しみを生み出すだけです。

痛みは人生で避けられないものですけれども、苦しみはオプショナルであり、人生における痛みの受容を拒むときに生まれるものです。

 

うん、やっぱり「痛い」は避けられないんですね。

痛いのはしょうがないんだ。それが人生なんだから。

 

痛いわけだから「いってええ…!」と思うのは自由だけど、

そのあと苦しむのは、なるべくやめよう。と思いました。

 

 

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